2005年09月
2005年09月30日
フタコイ オルタナティブ
風邪をひいて行動できない+やる気が起きないを利用して、見残していた「フタコイ オルタナティブ」を最後まで見る
後半はいまいちだったけども、前半は良かった。「別れ」がずっと描かれ、その「別れ」を比喩として「一緒にいること」が描かれる
フタコイというのは元々は美少女ゲームらしい。けども、このアニメは「萌え」はどうでもいいような扱いだった
(だから最後まで見れた)
前半ストーリーは下町を舞台に見た目だけ烈しいけどもどうでもいいような話が続く。この感じは「NieA_7」に少し似てるかもしれないなーと思ってみてた
共同性が事後的に構築されるのと同じく、ランドスケープたる「原風景」も帰属集団に依存して事後的に作られる
「ノスタルジー」を前面に押し出した映画としては、フェディリコ・フェリーニの「アマルコルド」が有名。でも、イタリア人にとってアマルコルドを「原風景」として観ることが出来るかもしれないけども、日本で生まれ育った人間にとって、あの映画を感慨深げに観るのには無理がある
日本映画の中で原風景の有望株は「となりのトトロ」。ただ、あまりにも田舎過ぎる。だから遠すぎる異世界の話という感じがする
日本的であって、トトロほど遠くないけども、自分の住んでる世界とは違った場所というのが、おそらくこのアニメのような世界。「二子魂川市」という都会でも田舎でもない町が舞台になっいて、主人公たちの住んでいるのは「商店街」。
都会の中ではなくなったと言われるような隣の人たちの会話があり、人間くさい警官が出てきて、テキ屋のようなヤクザが出てくる。稼業は探偵業。夜は銭湯に行く。
これらのものは、すべて(一度も手に入れたことがないにもかかわらず)「失ってしまったモノ」として構築される
原風景は自分の住んでる世界の対置するものとして描かれるけども、語彙的に反対語が取られる訳でもない。「都会」の反対語は「田舎」だけども、都会に住んでいる人間にとって「田舎」は憧れの対象に成り得ても、やはり異世界でしかない
街の中で生きる人間にとって田舎は外部でしかない。街の外にあるものではなく、あくまでも街のなかに存在していながら、自分の生活圏と対置される表象。商店街や銭湯やテキ屋や人間くさい警官がその表象になって、原風景に成り得る
そういうものがこのアニメでは描かれていたように思う
後半はいまいちだったけども、前半は良かった。「別れ」がずっと描かれ、その「別れ」を比喩として「一緒にいること」が描かれる
フタコイというのは元々は美少女ゲームらしい。けども、このアニメは「萌え」はどうでもいいような扱いだった
(だから最後まで見れた)
前半ストーリーは下町を舞台に見た目だけ烈しいけどもどうでもいいような話が続く。この感じは「NieA_7」に少し似てるかもしれないなーと思ってみてた
共同性が事後的に構築されるのと同じく、ランドスケープたる「原風景」も帰属集団に依存して事後的に作られる
「ノスタルジー」を前面に押し出した映画としては、フェディリコ・フェリーニの「アマルコルド」が有名。でも、イタリア人にとってアマルコルドを「原風景」として観ることが出来るかもしれないけども、日本で生まれ育った人間にとって、あの映画を感慨深げに観るのには無理がある
日本映画の中で原風景の有望株は「となりのトトロ」。ただ、あまりにも田舎過ぎる。だから遠すぎる異世界の話という感じがする
日本的であって、トトロほど遠くないけども、自分の住んでる世界とは違った場所というのが、おそらくこのアニメのような世界。「二子魂川市」という都会でも田舎でもない町が舞台になっいて、主人公たちの住んでいるのは「商店街」。
都会の中ではなくなったと言われるような隣の人たちの会話があり、人間くさい警官が出てきて、テキ屋のようなヤクザが出てくる。稼業は探偵業。夜は銭湯に行く。
これらのものは、すべて(一度も手に入れたことがないにもかかわらず)「失ってしまったモノ」として構築される
原風景は自分の住んでる世界の対置するものとして描かれるけども、語彙的に反対語が取られる訳でもない。「都会」の反対語は「田舎」だけども、都会に住んでいる人間にとって「田舎」は憧れの対象に成り得ても、やはり異世界でしかない
街の中で生きる人間にとって田舎は外部でしかない。街の外にあるものではなく、あくまでも街のなかに存在していながら、自分の生活圏と対置される表象。商店街や銭湯やテキ屋や人間くさい警官がその表象になって、原風景に成り得る
そういうものがこのアニメでは描かれていたように思う
2005年09月20日
エクレア依存?
今日は鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』の読書会
バウマンの『リキッド・モダニティ』も併読
カーニヴァルによって往復される「躁」と「鬱」というのは、社会学の伝統的な語彙では「聖」と「俗」に対応していることなどを確認
東浩紀の「データベース」という用語を鈴木も使用しているが、やはり斎藤環が指摘していたように、データベースは何でも説明出来てしまう枠組みに思えて仕方ない。それこそ、吉田民人の「プログラム」のように
「躁」と「鬱」/「聖」と「俗」が対応しているならば、なぜ言葉を分けたのか?
そのあたりは、この本には記述が無く、デュルケムの宗教/呪術の分類と、リッツァーの「再魔術化」概念と、バウマンの「液体化」を知らないと読み取れない
キャッチーなネタを繰り出して読者を飽きさせないという新書ならではの書き方だけではなく、ちゃんと読み込めばまっとうに社会学の王道を踏襲している。良書だと改めて思った
さて、帰宅して、SATCを見ると、ミランダがチョコレートの「エクレア」にはまるという話をやってた
自分と重なって大爆笑!
バウマンの『リキッド・モダニティ』も併読
カーニヴァルによって往復される「躁」と「鬱」というのは、社会学の伝統的な語彙では「聖」と「俗」に対応していることなどを確認
東浩紀の「データベース」という用語を鈴木も使用しているが、やはり斎藤環が指摘していたように、データベースは何でも説明出来てしまう枠組みに思えて仕方ない。それこそ、吉田民人の「プログラム」のように
「躁」と「鬱」/「聖」と「俗」が対応しているならば、なぜ言葉を分けたのか?
そのあたりは、この本には記述が無く、デュルケムの宗教/呪術の分類と、リッツァーの「再魔術化」概念と、バウマンの「液体化」を知らないと読み取れない
キャッチーなネタを繰り出して読者を飽きさせないという新書ならではの書き方だけではなく、ちゃんと読み込めばまっとうに社会学の王道を踏襲している。良書だと改めて思った
さて、帰宅して、SATCを見ると、ミランダがチョコレートの「エクレア」にはまるという話をやってた
自分と重なって大爆笑!
2005年09月18日
淡路
淡路に行く用事があったので、商店街(西側)をプラプラした
イズミヤがあったので入ってみた
なんか全体に重い
というよりも「昭和」と言った方が的確か
自分の住んでる所も自分が出没する所にもこういう空気は無い
でも、ここで生活に必要な物は全部調達できるし、生鮮食料品売り場をみると品は悪くない
あまりうまく言葉に出来ないけども不思議な驚きがあった
ついでに日頃はあまり入らないような店にも入ってみた
でも、やっぱり買ったのはエクレア
バニラ・エッセンスの入ったカスタードをかなり久々に食べた
これはこれで美味しいかも
次回淡路に行く機会があったら、東側に行ってみようと思う
イズミヤがあったので入ってみた
なんか全体に重い
というよりも「昭和」と言った方が的確か
自分の住んでる所も自分が出没する所にもこういう空気は無い
でも、ここで生活に必要な物は全部調達できるし、生鮮食料品売り場をみると品は悪くない
あまりうまく言葉に出来ないけども不思議な驚きがあった
ついでに日頃はあまり入らないような店にも入ってみた
でも、やっぱり買ったのはエクレア
バニラ・エッセンスの入ったカスタードをかなり久々に食べた
これはこれで美味しいかも
次回淡路に行く機会があったら、東側に行ってみようと思う
2005年09月17日
梅田 茶屋町
そこにあったはずのお店がない・・・
ついにもうろくしたかと、フラフラして、ネットにつないで確認したら記憶は間違ってなかった
どうやら一帯が再開発に入っていたようだ
只今工事中
場所は梅田茶屋町
そろそろNU chayamachが出来る関係の再開発かもしれない
だんだん出来てきた(10月20日オープン)
西梅田が再開発で盛り上がっていたけど、お次は茶屋町
「記憶は風景に宿る」と前所属大学の指導教官が言っていた
物にも記憶は宿る。思い出したくないことが宿った物は捨てる事が出来るし、忘れたくない物が宿った物は取っておくことが出来る
でも、風景は個人の決定ではどうにもならない。これは一つの「暴力」ではなかろうか
都会は飽きずに再開発を続け、一ヶ月単位で風景が変わっていく。記憶が宿った風景は消え去り、記憶も消え去っていく
街の中で生活するということは、忘却との戦いなのかもしれない
2005年09月16日
2005年09月15日
仕事の前にエクレア
2005年09月06日
宝塚歌劇
宝塚歌劇に行ってきた
行ったのはこちらの公演
宝塚歌劇を見るのは人生で初めて
どんなものなのかと想像を(不必要に)膨らませてたけど、「なんだ、普通にミュージカルとして楽しめるじゃん」っていう感じだった
デザインの壊れ具合がすばらしい!
見た瞬間に購入を決定!
お天気はあいにくの雨・・・
行ったのはこちらの公演
宝塚歌劇を見るのは人生で初めて
どんなものなのかと想像を(不必要に)膨らませてたけど、「なんだ、普通にミュージカルとして楽しめるじゃん」っていう感じだった
おみやげの歌劇せんべい↓
デザインの壊れ具合がすばらしい!
見た瞬間に購入を決定!
2005年09月05日
2005年09月04日
メッセンジャーの怪
メッセンジャーを起動していないのに話しかけられてしまう・・・
という現象が起きてる
どうも自分だけではなかったみたい
(1)設定が自動ログオンになってる
*** MSN Messnger ***
[ツール]→[オプション]→[全般]→
□Windowsのログオン時にMessengerを実行するする
□インターネットの接続時に自動的にサインインする
のチェックボックスを外す
*** Windows Messenger ***
[ツール]→[オプション]→[設定]タブ
□Windowsの起動時にこのプログラムを実行する
□常にこのプログラムをバックグラウンドで実行する
のチェックボックスを外す
でも、話しかけられるんだ・・・
原因はどうやらWindowsXPに標準装備されているWindowsMessengerだ
(一般に使われてるのは MSN Messnger)
WindowsMessengerは(1)の作業をしても停止させられないことがある
2.Windows Messengerを使用不可にする
MSN Messengerは(1)の作業をしておくと勝手に起動したりログインしたりしない
なので、Windows Messengerを使用不可にして、通常はMSN Messengerを使うという選択が良いように思う
Windows Messengerを使用不可にする手順は以下
1.[スタート]メニュー→[ファイル名を指定して実行]
2.ボックスに「gpedit.msc」と打ち込んで[OK]
3.[コンピュータの構成]→[管理用テンプレート]→[Windowsコンポーネント]→[WindowsMessenger]を開く
4.右の「WindowsMessengerの実行を許可しない」をダブルクリックし、「有効」に設定して[OK]
5.Windowsを再起動
これでログインしてないのに話しかけられるということは無くなるはず